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遺族日記

今思えば最期の1年間は何かを悟っていたかのように動いていた妻

今思えば最後の1年間、半年は妻は最期が近いのを悟っていたかのように動いていた。

妻のガンは明らかに徐々に彼女の体をむしばんでいきました。

例えば、抗がん剤の種類が1年、半年、3か月と効いている薬の期間が徐々に短くなってきたり、足のむくみが酷くなってきたり、肺や骨盤、脊椎部分の腫瘍もでてきたは消え、そしてデカくなりと徐々にガンの範囲も広くなってきました。

最期の2年くらいはこれが最後の夏休みになるかも、これが最後の年越しになるかも、これが最後の息子の誕生日になるかも、と生きていました。

しかし、最期の1年、半年間は明らかに違いました。夏休みには家族、友達を呼び寄せ、旅行にできるだけ行き、家族だけでも休みがあれば、妻は抗がん剤の副作用、足のむくみで辛いはずなのにあちこちに旅行や遊びにでかけました。

必死に最期の思い出を、自分のためでなく、子供の為に作ってあげてくれてたのだと思います。

携帯の写真を見ると最期の1年間はあちこちに行っているのが良くわかります。写真の量も例年の倍以上撮っていました。

 

亡くなった後の具体的な話

後は、妻が亡くなった後の具体的な話もするようになりました。

生活の拠点をどうするか、アメリカで生活していくか、日本で生活していくか。

お葬式をどうするか?お墓をどうするか?今後の妻側の親戚との付き合い方等まで色々なことを話しました。

こういった話が生前にできたことは今でもとても良かったと思っています。きっと私だけでは決められません。

妻が亡くなった後、思い知りましたが、遺された大人は家族で一人なのです。全て自分ひとりで決めていかなくてはなりません。

自分ひとりならともかく、幼い子供もいます。周りの親戚への配慮とか、学校のこと、学童的なとこを決めたり、習い事、車の選択&購入、家の選択&購入、子供の髪型(笑)、とにかくすべてです。これって結構きついのです。

最近は慣れてきましたが、圧倒的にお父さん、お母さんがいる家庭に比べると不利な選択をしていたりすることもあります。情報量も圧倒的に少ないです。

話は戻りますが、最後の1年間は妻の気持ちに答えれるように私も仕事を減らし、夏休みもがっつり取りました。仕事の関係者には多大なご迷惑をお掛けしましたが、会社や同僚も理解してくれ、1年間凝縮された色々な思い出を作ることができました。

 

身辺整理を始めた妻

妻は後、身辺整理というか、いらないものを処分し、売れそうなものもまとめ始めました。

その中には付き合っていた頃にプレゼントしたダイヤや、結婚式のドレスまで…。(おいおい。)

全部妻のものなので、どういったものでも私は何もいいませんでしたが、売れそうなものは片っ端から集め、見積もり依頼をしていました。

妻は少しでも子供や私の為にお金になればと最期にできることを一生懸命やっていたので私がプレゼントしたダイヤのネックレスなんてどうでもよかったです。(←ちょっと根に持つ)

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