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乳がん闘病記

乳がん闘病記(8)無治療1年3か月、腫瘍マーカーが上昇、肺転移

前回までの乳がん闘病記

前回まではパクリタキセルとAC療法の抗がん剤治療が終わり、抗がん剤後初のPET検査。

その結果、無情にも腋窩のリンパ転移が見つかり、その後腋窩リンパ節の廓清を行い、

その後、放射線治療を経て無治療期間に入るところまでを書いていきました。

本日はその後1年と3か月くらいたった時の定期健診で肺に転移が見つかった時のことを

妻がブログに書こうと思っていたメモとして残してものを基に書いていきたいと思います。

以下、妻のブログメモより

とうとう再発したか。

最期の放射線治療から1年3か月くらいが経った頃、先伸ばしにしていた定期健診。

しばらくぶりの病院。先生に会ってから血液検査をした。

数日後、「腫瘍マーカーが上昇したからCTの予約を取ってくれ」と電話があった。

またあの血の気が引く感覚。

いきなりCT撮るの?経過観察にできないほどマーカーは上昇してるの!?

CTを撮りに行く時、その場で何か言われるわけないのはわかってはいたものの、恐怖でガタガタ震えた。

技師の方が「大丈夫?そんなに大変な検査じゃないから」と声をかけてくれた。

椅子に座っていても膝がガクガク震えて、どうしょうもなかった。

CT結果がわかる先生の予約まで、またあの深い闇の中にゴールも見えないような絶望の状態が続いた。

もしかしたらCTは大丈夫かも。と思いたい気持ちと、

マーカー上がって、なんでもありませんなんてことあるわけないよ。という気持ちが行ったり来たりした。

どうしても今回は大丈夫とは思えなかった。

 

検査結果を聞きに先生のもとへ

当日、旦那はこれなかったので、自分一人で病院へ。医師から告げられたのは肺転移だった。

まったく実感がわかない。数年経たないうちに私死ぬの?

思ったよりなんだか冷静だった。たぶん人間は心が壊れないようにブレーキをかけるのかも。と思ったくらい。

その日、旦那に報告し、二人で泣いた。

これからの生活のこと、生活の場所、治療のこと、考えること決断することは山のようにあった。

でも心の片隅で、じたばたしてても仕方ないと不思議と思えた。

数週間後に日本へ一時帰国して家族に会う予定があった。

それをキャンセルして一刻も早く治療に入るべきか悩んだが、これから長い抗がん剤生活が続いて、

もしかしたら元気な状態で家族といっぱい遊べるのはこれが最後かもと思い、決行した。

日本で診てもらっている先生の意見も聞き、私たちは先ずはアメリカで治療を開始することを決めた。

日本で承認されていない薬を使える可能性があるからだ。

私が待っているのはPARP阻害薬。DNAに働きかけ、遺伝性の乳がんに効果が高いといわれている。

アメリカでもまだ未承認だが、日本よりははるかに承認速度が速いと言われている。

せっかくアメリカにいるのだ、少しでも可能性のあるもにかけなくてどうする。

一時帰国から戻った私は、バタバタと検査、そして治療へと入っていった。

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