早朝の電話、告知
前回の日記ではシコリの発見から、アメリカでの病院の初診、マンモグラフィーの結果、針生検を行うところまでの事を書きました。
前回の日記で書いた通り、針生検の結果の連絡が、確か週明けの月曜日の朝8時頃(確か会社に行く前だったのでこの位)に電話できたことを覚えています。
普段通り、会社に行く準備をしていると妻の携帯が鳴りました。登録にない番号、とりあえず妻が電話をとり、話を聞いていると真剣な表情で話を聞いている。「いいことではない」「病院から電話」ということは直ぐにわかりました。
妻は私にも聞いてほしいということで、電話をスピーカーホンにした。結果は陽性、この時点で乳癌であることが医師から告知されたのです。
とりあえず、その時は次の2~3日後に乳腺科の先生との予約をいれ、直接先生と話をして今後の治療方針について話すことになりました。
電話での告知であっけなかったけれども、検査から、結果を聞かされるまで、とても生きた心地がしませんでした。妻は「死刑宣告を待つ被告」のようといっていましたが、本人はそのとおりなのだと思いました。
告知のされ方については、色々な考え方があると思いますが、また診察で医師から直接聞かされるのも、医師としても負担だし、それまで患者も待っている間、相当なストレスだろうし、電話での告知というのは私達夫婦は特に気になりませんでしたし、良かったと思います。
大泣き
電話を切った後、妻と二人して声を出して大泣きしました。もちろんこんな事人生で初めてで、なんか妻と付き合っていた頃から、結婚して今までこんなにお互いの感情をあらわにしたことはなかったです。色々なことが頭を駆け巡りました。
これって悪夢?
これからどうするの?
なんで妻がこんなことに。
治療はアメリカでやるのか、日本に帰るのか?
もちろん治るよね?
とか、いろいろなことがバーッと頭を駆け巡る。どこで泣き止んだかも覚えていません。息子を見て我に返ったのかもしれません。
とにかく夫としてしっかりせねばと、妻を慰めようとしますが、なんと言葉をかけてあげればいいかわかりませんでした。ただ一緒に泣くことしかできませんでした。
肝心の乳がんのサブタイプを知る
医師からの告知の際、電話では私も妻も混乱、取り乱し、正直、英語の医療用語がよくわからず、その時も色々説明をされていたのだが、電話の後落ち着いた時に、病院の妻のデータが見られるサイトにてテスト結果を確認しました。
何かNegativeというワードが3つ並ぶ。これってもしかして「トリプルネガティブ」ではないのか?と気づいたのはこの時だった。
妻も私も検査結果待ちの期間等に調べまくっていたので、トリプルネガティブ乳がんの事はよく知っていました。
妻:「これって乳がんのなかでも最悪タイプだよね?」
ここではあまり詳しく触れませんが、トリプルネガティブ乳癌だと治療法は乳房切除か抗がん剤治療のみとなる。またはその組み合わせ。
どこか、少し、乳がんというと世間一般からすると「治るんだよね?」とか思われているかもしれませんが、(妻も両親、友達等にも後に何度もいわれました。)いろいろなタイプがあって、もちろん同じタイプでも予後は色々ですが、その時はトリプルネガティブは特に予後が悪いということは一般的に周知されている事実でした。
確かその後にに直ぐBRCA1変異のトリプルネガティブ乳癌ということまでわかったと思います。
次の診察までの間
次の医師との診察までの間、妻と私の両親に報告しました。
両親は高齢なので、ストレートに伝えるか迷いましたが、日本に治療で帰る可能性も考え始めていたので、妻と相談した結果ストレートに伝えることにしました。
反応は色々でしたが、言葉を失いますよね。そのあと涙ぐんで励ましてくれます。ただ私と違うのはやはり生きてる年数が違うというか、ちゃんと重みのある励ましの言葉を妻にかけてくれたことを何となく覚えています。(さすがだな。)
少し書きましたが、この時点で日本で治療をしていくか、アメリカで治療をしていくか考え始めていました。
また大きな問題として、トリプルネガティブ乳癌かつBRCA1変異となると乳房切除しなければならなかったり、抗がん剤とどちらを先にやるかとか(これは医師がアドバイスしてくれますが、最終的には自分で決める感じでした。)、そんなことまで調べて、次に何をしなければならないのか考え、結論を超短期間に出さなければならなかったのでした。