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乳がん闘病記

乳がん闘病記(4)右乳房全摘出手術、やはりトリプルネガティブだった

前回までの乳がん闘病記

前回まではアメリカで乳癌のマンモグラフィー検査、針生検を経て、乳がんであることの告知を受け、治療方針について、アメリカの医師、日本の医師と話し合った結果、日本での治療を選択することになるまでを書いてきました。

今回のブログでは日本に帰ってきてから、乳房全摘出手術センチネルリンパ節生検、乳房摘出の結果、やはりトリプルネガティブ乳がんだったというところまでを書いていきたいと思います。

内容気になる方は前のブログにさかのぼって読んでみてください。

日本に到着、奇跡的な早さでの対応

日本にきたのは12月25日まさにクリスマスどまんなかでした。

日本に帰る前に日本の病院に事前に連絡をしておき、確かその2日後ぐらいに年内最期くらいのタイミングで先生が無理やりに診察を入れてくれました。

確かその日はまた針生検まだやったと思います。アメリカで確定診断されたとはいえ、結局日本の病院でも同じく検査して細胞を採るところまでしっかりやりました。そりゃ、そうですよね。

その後、先生と話し合い、抗がん剤での治療よりも先に乳房全摘出手術を行う事になりました。手術日もこの日に担当の乳腺科医師が麻酔科やその他の科に色々電話してくれて直ぐに決定してくれました。アメリカで言われた通りよりも少し早く年明けの中旬頃に決定しました。先生にもとても運がいいといわれましたが、こんな所で運が良くてもうれしくとも何ともありませんでした…。

私と妻は医師が相当反対しない限り、この日までにある程度、乳房の全摘出手術を先に行うという考えを纏めていました。

乳がんの治療については、節目節目の大事な先生との話の前に、ある程度自分達で予備知識をつけておいて、考えを纏めておく、「先生がこうきたら、こういう方向にする。こういう質問をする。」「質問の回答が、こうだったら、こういう治療を行う方向で決断する」とか決めておくことが大事だと思いました。

実際に当日先生の話を聞いて、治療の方針や抗がん剤の種類を聞いて、スケジュールを聞いて、その場で考えを纏めて決断するというのはかなり自分達には難しいと思いました。命にかかわるのですからこれは通常時間を要する問題ですよね。無理です、その場で決断とか。

なので、私は万全な準備(情報収集、色々なシミュレーション)をして、二人以上で考えを一つにまとめて、そのメンバで先生の話を聞くのがいいと思います。何人かいれば、色々な質問事項等の聞きわすれ等も防げますし、聞き忘れて次の問診まで気持ち悪い時間を過ごさなくて済みます。ましてや乳がんの治療の節目の大事な話は殆どの場合、いい話ではありません、ショックを受けることが多いですし、精神的にも二人以上いた方が絶対心強いです。

私はもちろん妻と先生との大事な話の時はいつも病院に一緒に行って話を聞きました。

 

乳房全摘出手術の日、やはりトリプルネガティブ乳がんだった

乳房全摘出手術までの間、私達は家を探したり、引っ越しをしたり、年末年始の忙しい中、できる限りのことをした。確か手術までの間、私だけ少しアメリカの片づけに帰ったりもしたと思います。あの当時は1か月に4往復くらいした気がします…。

きっと手術後は当分動けないだろうし、抗がん剤も直ぐに始まる。そんなこんなバタバタしているうちにあっという間に手術の日が来ました。

センチネルリンパ節生検も同時に行い、リンパ節転移無しとわかりました。これはこの時点ではGood ニュース。(この時点でなかたったのに抗がん剤治療後に転移が見つかることになります。ちょっとここが謎。後々ブログに書きます。)

しかし、乳房摘出後の細胞検査の結果、やはりトリプルネガティブ乳がんであることがわかります。アメリカでも同じことを言われていましたが、もしかしたら、日本で検査しなおしたら違った!なんてこともあるかもと妻と私は淡い期待をしていました。しかし現実はそうは甘くありませんでした。

これにて完全にトリプルネガティブ乳がんであることが確定したのです。

妻は同時の事をこうブログ用のメモにこう書いています。

「自分がトリプルネガティブ乳がんだとは、何のブログやサイトを見てもいいことは書いていなかった。再発率の高さ、再発までの期間の短さ、再発後の予後の短さ。私のタイプ、今日からほんの数年で勝負が決まるんだ。ダメだった場合、息子の6歳の姿を見られるか、見られないか…。」

 

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