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乳がん闘病記

乳がん闘病記(1)「1.2cmのしこり」

乳がん闘病記について

この投稿から、妻の約5年の乳がん闘病について、初発から日本帰国、抗がん剤治療、放射線治療、最新の抗がん剤を使用した時の事、いろいろな思い出等、夫目線、家族目線でみた日記を書いていきます。

まだまだ書き方、文書に不慣れな点多々あるかと思いますが少しづつ改善していきますので今は多めに見ていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

 

1.2センチのしこり

約5年前の年末、私達家族は私の仕事の都合でアメリカに住んでいました。ちょうど妻と子供のビザがやっとおりて、生活仕事ともにまさにこれからという時期でした。

そんな時期のある晩、妻が右胸に米粒大程の1.2cmのシコリがあることを見つけました。

これはあとから聞いた話ですが子供の授乳が終わったら、マンモグラフィー検診を受けようと思っていたようで、日頃から少し気にはしていたようです。

この小さな小さなシコリが、これから私達家族を身体的にも肉体的にも深く傷つけ、最終的には妻の命を奪うことになろうとは、この時は思ってもいませんでした。

本当に、「あれシコリ?なんだろう?」と気づかず見過ごしてしまいそうな、こんなに小さいモノが大きな人間をむしばみ、いとも簡単に大切な人の命を奪っていくのです。

 

この日記を書いた時はちょうどコロナウィルスが世界で大流行しており、これもまた多くの命を奪っていきました。

これも目に見えないくらいとっても小さな、突如現れたウィルスが半年間の間に何十万人もの命をいとも簡単に奪っていきました。

改めて人間の体、命はとても壊れやすく失われやすいものなのだと感じた半年間です。

 

乳がん早期発見による影響

妻の場合、この1.2㎝という大きさで見つかったことが約5年間生きられた要因かわかりませんが、単なるシコリと見落とさず、早い段階で見つけ、マンモグラフィまでやれたことは少なからず運が良かったのかもしれません。

これは本当に個人的な意見でなんの根拠もないですが、もしかしたら、もう少し遅く発見されていたら、もっと早くに多臓器に転移していた可能性だってあったかもしれません。

ただ、アメリカの医師は妻が亡くなる約半年前、こんなことを言っていました。

「あなたは1年半くらいの命のはずなのに、今まだ生きている。これは早期に発見できたことも少なからず影響している…」

もちろん、これだけではなく、運よく色々な最新の抗がん剤を使えたことも結果を左右しているという事もおっしゃっていました。

 

シコリ発見後から診察まで

話は戻り、このシコリに気づいた時のことですが、確かあればちょうど息子の誕生日の週で、病院の予約の日はちょうどその息子の誕生日の日でした。

急いて病院に電話をし、診察の予約をいれてから、予約の当日の日までは生きた心地がしませんでした。

ただ何故かわかりませんが、今でも不思議ですが、「絶対に乳がんだな」って妻も私も確信していたような記憶があります。ただネガティブ志向なだけかもしれませんが…。

それからの毎日、診察の日まで、毎晩スマホやパソコンで乳癌のシコリや症状、乳がんにも種類があること等、様々なことを夜遅くまで一緒にしらべました。

この時、後に妻が診断されるトリプルネガティブ乳癌という最も厄介な乳がんの事も知るのでした。

 

初めての診察の日

そんなこんな、毎日乳がんの事ばかり調べているとあっという間に予約当日になりました。

アメリカの私の病院では、まず自分の主治医との診察を予約し、その先生がスペシャリスト(専門医(乳腺科、腫瘍科等))の先生に紹介状というか、予約を入れてくれるようなシステムになっています。

家から車で5分くらいのところの病院に行きまずはその主治医の先生の診察がありました。

その時は先生の顔の表情や感じから、十中八九乳がんなんだなと妻も私も感じ取ることができました。

医師って経験上、いろいろなことが高い確率でわかっているような気がしますよね。検査は殆ど本当裏付けの材料なだけな気がします。

先生は触診をすると、直ぐにマンモグラフィーの予約をしてくれました。次は2日後、この2日間もまた色々な情報を仕入れ、さらに知識を蓄えるのでした。

マンモグラフィーの結果針生検となればかなりの確率で乳癌確定となることや、その結果、乳がんのタイプ等もわかることもわかっていました。

 

マンモグラフィー当日

そして2日後、いよいよマンモグラフィー検査当日、当日は息子を預けることもできず、仕方なく1歳の子供をつれて、今度は少し離れた大き目の病院までやってきました。

ここは後に抗がん剤等も受ける病院となり、入院施設等も充実した病院です。

まずは乳腺科の先生と話をし、説明を受けた後、マンモグラフィー検査を行いました。

確か結果はそんなに待たされなかったのですが、案の定、結果は良くなく、今度は別の先生と話をし、針生検を行うことになりました。

この後は結構待たされ、結局朝から、夕方まで1日検査に時間を要したのを覚えています。

子供は完全に飽きて泣き出すわ、眠くてくずるは、検査はなかなか始まらないし、大変でした…。

ようやく検査が終わり妻が処置室からでてくると、先生と話をし、結果は後日、電話にて連絡すると言われ病院を後にしました。

初めは「電話!?」って思いましたが、また子供と病院に行って結果を大分先に聞くより、確かに効率的だと思いました。

アメリカはこういったところが合理的でスピーディーですね。スーパーのレジは日本の精鋭部隊とは違って天と地の差ですが…。

その後、確か結果の連絡がきたのは週明けの月曜日朝、8時頃だったと思います。

 

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